空を掴め 空象へ 谷口昌良
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空を掴め 空象へ 谷口昌良

On Representational Emptiness | Akiyoshi Taniguchi

東京蔵前で僧侶として布教に従事するかたわら、長年、写真に情熱を傾けてきた谷口昌良(たにぐち・あきよし)の写真集。これは2020年発行の私家版「空を掴め」の拡張版。左記との違いは、判型や図版数の拡大だけでなく、詩人石田瑞穂の詩文が無くなった代わりに、谷口が仏教僧侶としての観点から日々紡いだ写真の有り様を文章にしたためたものなどが掲載される。また港千尋による寄稿「空を焦がす」も所収。これまでの「写真少年(Photo-Boy)」シリーズ前2作と同様にデザインは木村稔将。右端画像は写真供養後の燃えかすを額装した作品。
ハードカバー。別刷付属。新刊。

以下版元より
「諸行は無常であるからその実体もなく確定するものは無い」──大乗仏教の流れにとって重要な概念 「空(以下読みはクウ)」を思念する仏僧であると同時に、写真家である谷口は、実体なき世界と見ることについて長年にわたり思索を重ねてきました。
2つの間を絶え間なく揺らぎながら、表象をめぐっても重ねられてきたその思索は、自身が老眼になった現在、眼鏡を外すと焦点があわなくなり像が結ばれることから解放されていったことを契機に「実体は無常であり、写真は無常像だ」という開眼を谷口にもたらします。その思念から、作家は眼鏡を外し松の森に佇み、カメラの数字も見えずフォーカスも分からない状態で撮影する写真行為=「空」を掴むことへと向かっていったのです。
馴染んだ滑らかなフィルムで陶酔するように松の森を撮影したのち、谷口にはふと松の表皮が自然の中のピクセルに見えたといい、今度はカメラが自動的に焦点を合わせるデジタルカメラに身を任せもします。かねてから「嘘をついて勝手な表象に変化させる」という懐疑を持っていたデジタル写真の撮影を通して、谷口は、ついに写真が「空」であるという確信に至り、最後には写真を燃やし供養にいたります。
白隠禅師が描いた多くの書画も「空」への所為としてのものだったのかもしれない──、撮影を通してそう体感するようでもあったという一連の写真行為による作品を収録する本書は、仏教と写真の根幹から、自我と表現、表象への問いを私たちに投げかけると共に、実在と切り結ぶ「空像(くうぞう)」としての写真のありようをそこに立ち上がらせます。

赤々舎, 2023

初版 | 日本語 | 29x22cm | 97pp | color

¥ 3,850 (税込)


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